神功皇后の伝説(じんぐうこうごうのでんせつ)
更新日:2025年9月8日
神功皇后は、妊娠中でありながら朝鮮半島に出陣して新羅を討ち、帰国後に応神天皇を産んだといいます。そのため、北部九州には神功皇后ゆかりの地が数多くあります。
筑前町でも、砥上神社、砥上岳、松峡八幡宮(栗田八幡宮)、大己貴神社、目配山、神功古道を始め数々の事跡が伝えられています。
筑前町でも、砥上神社、砥上岳、松峡八幡宮(栗田八幡宮)、大己貴神社、目配山、神功古道を始め数々の事跡が伝えられています。
『砥上神社(中津屋神社)』神功皇后が新羅征討のために兵士を集めた場所
『砥上岳(ひづめ石)』神功皇后が新羅征討のとき騎乗された乗馬の蹄跡
『砥上岳(みそぎのはる)』神功皇后が勝利祈願のため、この地の清水で身を清め、祓を受けた場所
『砥上岳(かぶと石)』神功皇后はこの兜をかぶって新羅に遠征した
『砥上岳(山頂)』神功皇后は三韓征討進発の際、武甕槌神(たけいかづちのかみ)の神を勧請して祈願した
『神功古道』神功皇后が進軍した道
『松峡八幡宮(栗田八幡宮)』神功皇后が羽白熊鷲と戦うために「松峡宮」を建て、戦に勝利した皇后が「心安し」といったことから夜須と呼ぶようになった
『目配山』神功皇后が登り、四方に目を配ったことから、山名の由来となっています
『目配山(神功腰掛石)』目配山頂にある神功皇后が腰を掛けた石
『大己貴神社』神功皇后が新羅征討を起こす兵を募ったが集まらず困り、大神社を建てたところ、兵が集まったと「日本書記」に記載されています
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